浦曙会について
組織概要
組織名 | 浦曙会 |
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所在地 | 〒722-0043 広島県尾道市東久保町12-1 (県立尾道東高校内) |
設立 | 1921年(大正10年)3月 |
電話番号 | 0848-37-7137 (尾道東高校) |
FAX番号 | 0848-37-7138 (尾道東高校) |
URL | https://hoshokai-higashi.jp/ |
hoshokai.higashi@gmaiI.com | |
役員 | 会 長 :青木 透 (29回生) 副会長 :比本 学志 (24回生) :山本 修 (26回生) :益﨑 千枝 (26回生) :小田 一基 (29回生) :平岡 潤子 (29回生) :三藤 寛史 (33回生) :片岡 祥子 (37回生) :高橋 武也 (45回生) 会 計:木佐貫 美香 (36回生) :佐々木 朱実子(44回生) 会計監査:二宮 仁 (30回生) :正木 清美 (30回生) 顧 問:矢野 智之 (東高校長) :木原 康孝 (11回生) |
浦曙会の歴史
ぬば玉の
夜は明けぬらし
玉の浦にあさりする
田鶴鳴き渡るなり
(万葉集より)
■名前の由来
(前略)県立高校に移管する直前,1921(大正10)年3月13日の総会において,名称を『浦曙会』とし,会則も大改正した。
浦曙会は万葉集の「ぬば玉の夜は明けぬらし玉の浦にあさりする田鶴鳴き渡るなり」に,よったといわれる。この歌の雰囲気をとらえてつけたのであろう。
この会の名称が『浦曙会』となった経緯を「会報」(8号)の同窓会日誌から引用してみる。記録者は先に述べた寿美谷とともに同窓会を献身的に世話した東一枝(6回)である。句読点を一部補っている。
我が同窓会のために何か意味あるいい名称を与えたいということは以前からの希望でした。校長先生にも賛成して頂き,又諸先生にも御考慮をわずらわし,又私共もしきりに考えておりました。そして大勢御集まり下さいました時に,発表してという事でしたので,今日を幸い皆様に投票して頂くことに致しました。玉浦会,玉汀会,ローズ会,連枝会,鶴湾会等其の他いろいろとございましたが開票の結果,浦曙会がもっとも多数でしたので,之に定めることに致しました。希望にかがやく前途を有している私たちの気分を残りなく表していると思います。曙の如く明るい希望に充ちた,そして汚れない心地をもってずんずん進んで行きたいと存じます。私たちはこの恵まれた浦曙会を永久に光輝あるものに致しましょうと誓ったのでございました。
『浦曙会』の名称は尾道の場所を暗示するとともに,東一枝がいう気分も示すことができる名称であり,この点で候補となった他のものよりは優れている。東たちの願い通り,この名前はそれからずっと,現在までにつづいているのである。
■沿革
1909年(明治42年) | 4月20日 | 尾道市立高等女学校開校 |
1912年(明治45年) | 7月21日 | 第1回同窓会 |
1920年(大正9年) | 2月21日 | 創立10周年記念式 |
22日 | 第1回バザー 従来の校友会誌「真たま」を会報として同窓会誌にする (校友会・同窓会合併、給品部 設立4月) |
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1921年(大正10年) | 3月13日 | 同窓会総会で『浦曙会』と名付ける |
4月 | 県立移管,「広島県立尾道高等女学校」と改称 | |
1928年(昭和3年) | 創立20周年記念式典 | |
1931年(昭和6年) | 2月 | 創立20周年記念の講堂落成 ベヒシュタインピアノ到着 |
1948年(昭和23年) | 5月 | 「広島県立尾道東高等学校」と改称 |
1950年(昭和25年) | 「広島県立尾道東高等学校浦曙会」と改称 | |
1959年(昭和34年) | 10月 | 創立50周年記念式典 (ソテツの記念植樹) |
1969年(昭和44年) | 6月 | 創立60周年記念式典 体育館兼講堂新築落成 |
1979年(昭和54年) | 11月 | 創立70周年記念式典 |
1980年(昭和55年) | 1月 | 創立70周年記念「同窓会館」完成 |
1990年(平成2年) | 10月 | 創立80周年記念式典(ベヒシュタインピアノ修復) |
1991年(平成3年) | 5月 | ベヒシュタインピアノ修復記念演奏会 |
1994年(平成6年) | 5月 | 園田高弘ベヒシュタインピアノ演奏会 |
1999年(平成11年) | 6月 | 創立90周年記念式典 同窓会館南敷地整備及び緑化工事、視聴覚室エアコン(1月) |
2009年(平成21年) | 10月 | 創立100周年記念式典 祝賀会、コンサート、校門整備 |